令和になって初めて迎えた新年。
天皇皇后として初めて、両陛下はきょう、皇居・宮殿で「新年祝賀の儀」に臨まれていて、一日の行事の最後に、吹上仙洞御所を訪れ、上皇ご夫妻に新年の挨拶をされます。
憲政史上初めて、江戸時代以来約200年ぶりに、退位による皇位継承が行われた2019年は、4カ月を第125代の天皇が、残る8カ月間を126代の天皇が象徴を務められ、“退位前最後の“、“200年ぶりとなる”、“約30年ぶりの”、“即位後初めての”という枕詞のつく行事が年間を通じて続きました。
年の初めにあたり、そんなレアな1年を2代にわたる「天皇」「皇后」を軸に振り返ります。
“平成最後”“退位前最後の”行事に ~『感謝のうねり』~
去年のお正月は、“平成最後“”在位中最後の”新年一般参賀が行われました。
参賀者の多さにお出まし回数は当初の予定よりも2回増え、平成最多となるおよそ15万5千人が訪れました。
来場者からは、平成の終わりを感じて寂しい、感謝の思いで来た、といった声が多く聞かれました。
歌会始の儀などの宮中行事も、先の天皇陛下にとって最後の出席となり、最後に寄せられた和歌は、美智子さま共々、長年暮らし愛しんできた御所の自然について詠んだものでした。
2月23日、皇太子として迎えた“最後の“誕生日で、「両陛下がなさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、あるいは共に悲しみながら、象徴としての務めを果たしていきたい」と即位への決意を明確に示された、現在の天皇陛下。
”次の天皇”の経歴やお人柄を詳しく伝える報道が数多く見られました。
3月に入ると、新元号発表に向けた動きも活発化し、即位30年を記念した行事が各所で行われ、同時に退位に向けた一連の儀式も始まりました。
元号、即位30年、退位、この3つの要素を並行して取材しながら、秋篠宮家の次女、佳子さまと長男、悠仁さまが卒業の節目を迎えられ、お二人の生い立ちや成長を振り返りました。
月末には退位を報告する神武天皇陵や明治天皇陵などでの親閲の儀のため、3泊4日の京都奈良訪問が行われ、沿道にはパレードさながらに多くの人が集まり、天皇皇后としてのお姿を目に焼き付けていました。
そして“平成最後の”皇居・乾通り一般公開開始から3日目の4月1日、新元号「令和」が発表されました。
次の御代の元号を交付する政令に署名押印され、天皇としての最後の1カ月が始まりました。
4月10日にはご成婚60年の節目を迎えられ、直後にはご成婚を記念して作られた神奈川県の「こどもの国」や美智子さまのご実家跡地の「ねむの木の庭」公園を相次いで訪れ、思い出を辿られるお姿からは、ご結婚生活の約半分は象徴天皇としての歩みであったことを改めて感じました。
17日からは退位を報告される親閲の儀のため伊勢神宮へ。
内宮へのご参拝のさ中、正殿にすーっと風が吹き抜けたこと、伊勢の沿道を埋め尽くす大勢の人たちが涙ぐんでいたことや、伊勢からの帰路の近鉄の沿線に「ありがとうございました」「お体にお気をつけて」などの手製の垂れ幕を掲げて大勢の人たちが見送っていたことが強く印象に残りました。
この伊勢ご訪問が、“在位中最後の“地方訪問となりましたが、こうした日々を、先月退任した山本信一郎・前宮内庁長官は、「国民の中から本当に感謝と敬愛の気持ちが本当に大きなうねりのようにご退位の日に向けて大きくなった」と振り返っています。
“在位中最後の行事”を一つ一つ終えるごとに安堵の表情を見せられていたという先の両陛下。
4月30日の退位礼及び5月1日の即位礼の儀式に向けて、多忙な日程の合間を縫って先の両陛下や現在の両陛下はそれぞれ儀式のリハーサルにも臨まれました。
そして迎えた4月30日。
約200年ぶりとなる天皇の退位の日です。
皇居内の賢所で、天皇として最後の宮中祭祀に臨まれた厳粛なお姿からは、天皇としてゆるぎなく積み重ねてこられた年月の重みが感じられました。
そして午後5時から行われた「退位礼正殿の儀」。
憲政史上初めてとなる退位の儀式で、“天皇として最後の“おことばを述べられました。
「即位から30年、これまで天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します」。
およそ2分間、丁寧にかみしめるように読み上げられた一言一言が胸に迫りました。
美智子さまの手を取り、象徴としての31年の歩みを終えられ、皇位のバトンは次の天皇へと受け継がれました。
“200年ぶり”の退位による皇位継承、祝賀ムードで令和の幕開け
5月1日午前0時。令和の時代が幕を開けました。
日本全国様々な場所でカウントダウンやイベントが年越しさながらに行われ、お祝いムードに包まれました。
平成の始まりは昭和天皇崩御の哀しみの中で始まったことと大きく異なる、晴れやかで祝福に満ちた新時代の始まりです。
平成以来31年ぶり”となる「剣璽等承継の儀」では、厳粛な面持ちの新天皇陛下が玉座の前に初めて立たれました。
皇位のしるしとして歴代天皇に受け継がれてきた剣と勾玉、そして天皇の印鑑である国璽、御璽を捧げ持つ侍従の緊張した姿は、皇位継承を明らかにする儀式の重さを物語っていました。
続いて、「即位後朝見の儀」には、皇后となった雅子さまもティアラを身に着け、緊張の面持ちで壇上に登られました。
「常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすこと誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します」。
“天皇として初めての”おことばは、静かな決意に満ちていました。
そしてこの日、宮内庁では皇位の継承に伴い、東宮大夫が侍従長に、侍従長が上皇侍従長に立場を変えました。
5月4日の“即位後初の”一般参賀には14万人余りが訪れ、新しい時代を実感した、清々しいお姿に感激した、という声も聞かれました。
気温の上昇により多くの人が体調不良を訴え、新天皇陛下は「熱い中来て頂いたことに深く感謝します」と来場者を気遣われました。
“即位後初めて”の行事始まる ~国賓接遇、地方訪問など~
GWが明けると、天皇としての公務が本格的に始まり、その一つ一つが“天皇として初めて”“即位後初めて”となりました。
5月27日には早速初めての国賓としてアメリカのトランプ大統領夫妻が皇居へ。
歓迎行事からご会見、宮中晩さん会、お別れのご挨拶、時を追うごとに打ち解け、大統領夫妻とコミュニケーションを深められる天皇皇后としてのお姿は圧倒的でした。
そして日を置かぬうちに“即位後初めて”の地方訪問で、四大行幸啓と呼ばれる「全国植樹祭」のため愛知県へ。
療養中の雅子さまにとって、これほど大きな行事に続けて出席されるのはかなりハードルが高かったはずです。
“即位後初めて”のご訪問を歓迎し、本当に多くの人が沿道や訪問先に集まり、大きな歓声や祝福の声に笑顔で手を振り続けられるお姿が印象に残りました。
「温かい歓迎が皇后さまにとって励みになり、次の行事に向かうお力になる」
側近からそう聞きました。
その後も“即位後初めて“の天皇としての行事が続き、各式典、戦没者追悼式、9月には3回の地方公務など、お二人での出席を予定していた公的な行事はすべて天皇皇后両陛下揃って臨まれました。
“約30年ぶり”の即位の礼
相次ぐ大型台風や大雨被害の爪痕が残る中、10月22日に即位の礼の中心的儀式、「即位礼正殿の儀」が行われました。
都内や皇居周辺は厳戒態勢が敷かれ、世界各国から国家元首や王族が参列する中、陛下は高御座に立ち、即位したことを宣言され、雅子さまも御帳台に立たれました。
儀式の様子はテレビ各局で生中継され、儀式の直前に雨が上がり、レインボーブリッジの上に虹がかかりました。
絶妙なタイミングで雨が上がったことは、各国のVIPにも強く印象に残ったそうです。
この日は朝から宮中三殿でのご参拝、即位礼正殿の儀。
そして夜には各国の元首や王族を招いた饗宴の儀も行われ、長い1日となりましたが、皇后雅子さまは陛下と共に親しみを込めた笑顔で賓客と交流され、翌日には王室の賓客を招いた茶会も催されました。各国の王室が一堂に集まる機会はめったに無く、貴重な機会でもあり、即位の儀式のための来日への感謝を込め、出来る限りのおもてなしをされていたそうです。
その後も饗宴の儀が合計4回、11月に入ると文化勲章や秋の叙勲の行事が続き、9日には民間主催の国民祭典が行われ、両陛下は皇居・正門の石橋に姿を見せ、雅子さまはアイドルグループ「嵐」らによる奉祝歌に涙ぐまれていました。
翌10日には祝賀御列の儀、祝賀パレードが行われました。
台風被害を考慮し、延期されていたもので、晴天に恵まれ、皇居からお住まいの赤坂御所までの4.6キロの道のりに、およそ11万9千人もの人が集まりました。
新調されたオープンカーに乗り、沿道からの祝福に手を振って応えられる天皇皇后両陛下。
ご成婚以来26年ぶりのパレードでしたが、今回はやはり“天皇皇后というお立場“の重みを改めて感じられる機会でもあったと思います。
皇后雅子さまのティアラは晩秋の日差しを受けてキラキラと輝き、時折涙を拭われる雅子さまと傍らで気遣われる陛下のお姿は印象的でした。
山本前長官は、「多くの国民から喜びと敬愛のお祝いの気持ちが大きくあたたかな渦に広がっていくことを実感した」と振り返りました。
パレードを終えると、すぐに皇位継承に伴う一世一代の「大嘗祭」が行われました。
重要かつ長時間に及ぶ行事のため、他の行事と並行して入念なリハーサルを重ねて何度も所作を確認し、14日から15日にかけて、中心的儀式の「大嘗宮の儀」に臨まれました。
陛下はほのかな灯りの中、色鮮やかな鳳凰のついたスゲで出来た傘のもと、神聖で最も格式の高い純白の装束で、悠紀殿、主基殿に進み、新米などを神々に供え、自らも口にし、五穀豊穣や国と国民の安寧を祈られました。
皇后雅子さまも純白の十二単姿で拝礼されました。
儀式はおよそ6時間にも及び、すべてを終えて皇居を後にされたのは午前4時過ぎでした。
そして、即位の礼と大嘗祭を終えたことを報告する伊勢神宮への親謁の儀が11月21日から23日、京都奈良への親謁の儀は直後の26日から28日、いずれも2泊3日の日程で行われました。
雅子さまにとって負担の大きい2泊3日の地方訪問が短期間に続きましたが、すべて日程通り行われました。
この旅でも、各地の沿道に本当に多くの人が歓迎に集まりました。
“即位後初めて”の伊勢の親謁の儀は皇室の祖先とされる天照大神に即位を報告する一世一代の儀式です。
装束姿の陛下は、平成の際にも使用された格式の高い二頭立ての「儀装馬車2号」に乗り、木漏れ日のさす内宮の参道を進み、参拝されました。
皇后雅子さまも、白い十二単姿でオープンカーに乗って参道を進まれました。
一つ一つの儀式の厳粛さと各地での歓迎の温かさが印象に残りました。
師走に入り、12月4日に即位関連の儀式を締めくくる「賢所御神楽の儀」に臨み、7カ月に及ぶ皇位継承に伴う全ての儀式をようやく終えられました。
皇后雅子さまは、即位に伴う全ての儀式に陛下と共に出席されました。
年の瀬に“即位後初めての”被災地お見舞いへ
12月26日、両陛下は台風19号などの被災者を見舞うため、被害の大きかった宮城県丸森町と福島県本宮市を日帰りで訪問されました。
発生直後から甚大な被害に心を痛め、早い時期に訪問を希望されていたことから、即位に伴う一連の儀式を終えた年末の訪問となりました。
冷たい雨が降る中、一人一人の話に丁寧に耳を傾け、つらい経験や悲しみを受け止めようとされていた両陛下。
東日本大震災と台風で2度も自宅を失った壮絶な経験を聞き、目を潤ませられた皇后さま。
そのご様子を見て、お供していた就任間もない西村泰彦・新宮内庁長官の目もまた潤んでいました。
被災者の体調を気遣われる雅子さまに対し、東日本大震災の際のお見舞いと同様、被災した方からも「どうぞお体大切になさってください」という声がかかっていました。
手を差し出されると、陛下は優しく握り返され、掌の温もりに感激したと話す人もいました。
退位によるお代替わりの課題
平成の時代とは大きく異なり、明るく祝福に満ちた中でお代替わりが行われました。
皇后雅子さまは一連の即位の儀式、また天皇皇后としての行事にすべて出席を果たされましたが、1年前の今頃はそうした状況を想像するのが難しかったのもまた事実です。
依然療養中であり、一つの行事を終えるたびに安堵し、周囲に感謝の気持ちを示し、また次の行事の準備に進む、この繰り返しで、おそらくその道のりは綱渡りであったと思います。
天皇皇后としての歩みは始まったばかりで、無理を重ねず、一歩ずつ歩まれること、過度な期待で追いつめられることが無いよう周囲が配慮することも必要だと思います。
また、退位後、上皇后美智子さまは白内障や乳がんの手術を受けられ、事実に基づかない週刊誌報道などによるストレスで体調を崩されているそうです。
上皇さま共々、「二重権威」と受け取られないよう、熟慮しながら予定を組まれているそうです。
30年余りにわたって全身全霊で象徴として歩み、高齢となりその立場を退かれた上皇さまと、傍らで寄り添ってこられた上皇后さま。
退位後はゆっくりとご自分の好きなことをして過ごしていただきたいと多くの人たちが思っていたと思いますが、現実には心穏やかにのびやかに過ごされているとは言えないかもしれません。
公的な活動からすべて退かれたた上皇さまと上皇后さまに敬意を示すことは、日本人としての心持ちでもあり、イコール二重権威とはならないのではないでしょうか。
皇后雅子さまが再び体調を崩されないこと、また退位された上皇ご夫妻が健やかにゆったりと自由な時間をお過ごしになること、この二つが叶ってこそ、真に“退位による皇位継承”が良い形で行われた、と言えるのではないでしょうか。
そうした思いで2020年の皇室のご活動を取材していきたいと思います。
【関連動画】令和初「新年祝賀の儀」 両陛下に三権の長など新年のあいさつ
2020-01-01 04:19:00Z
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