1. 脚気ってどんな病気?
脚気は現代ではビタミンB1不足による病気であることが分かっています。ビタミンB1は主に糖分をエネルギーに変換する際に必要となる栄養素です。数日間ビタミンB1の摂取が不足したくらいでは通常は脚気になりませんが、日常生活の中でビタミンB1不足が持続すると脚気を発症して、以下のような症状が現れます。
【脚気の主な症状(多発神経炎や心不全による症状)】
- 手足の痺れ
- 動悸や息切れ
- 足のむくみ
- 全身のだるさ
- 食欲不振
このような症状の記録をさかのぼってみると、奈良時代(西暦720年)に完成した歴史書「日本書紀」に登場する貴族にも同様の症状が見られます。一方で、平民にはこのような症状はあまり見られなかったようです。これは、ビタミンB1に乏しい白米を貴族が主食としていたのに対して、平民はビタミンB1が含まれる玄米を食べていたため、と考えられています。
江戸時代になって庶民も精米して白米を食べる習慣が江戸などで広まると、脚気の患者数は激増し、「江戸患い(えどわずらい)」あるいは「大坂腫れ」などとして恐れられました。13代将軍の徳川家定は脚気が原因で亡くなったとも言われています。「白米が脚気の原因かもしれない」という説は当時からあったので、経験的に雑穀を食べたり、江戸前蕎麦が流行したりすることはあったようです。しかし、脚気の原因は当時は不明のままで、対策は不十分でした。
2. 脚気対策における陸軍vs海軍
明治時代になって西洋医学が積極的に取り入れられましたが、脚気の原因はやはり不明のままでした。というのも、西洋はパン食の文化であり、パンの原料である小麦にはビタミンB1が含まれているので、当時の西洋医学で脚気という病気は重要視されていなかったのです。
そうした状況で、陸海軍の若い兵士を中心に脚気はさらなる広がりを見せます。戦闘糧食として「山盛りの銀しゃり(白米)」を食べるのが軍人文化であり、軍の士気を維持するためのご褒美でもあったのです。そして、副食をあまり食べられない階級の低い兵隊は次々と脚気に倒れます。海軍では乗組員の過半数が脚気にかかるようなこともあったそうです。
陸軍の動き
富国強兵の旗印のもと、軍備の強化を図る明治政府は当然ながら脚気の対策に動きます。陸軍では当時の医学界をリードしていたドイツ医学の視点から、後の陸軍軍医総監:石黒忠悳(いしぐろただのり)や、「舞姫」などを執筆した文豪としても知られる軍医:森鴎外ら当時一流のお医者さんを中心に病因の解明に取り組みました。しかし、当時のドイツ医学は細菌学全盛の時代であり「脚気は伝染病であり『脚気菌』が存在する」、という説からなかなか脱却することができませんでした。「実際に何が起きているか」よりも、理論をまず重要視する当時のドイツ学派は「伝染病説」にこだわってしまった結果、具体的な解決策を示すことはできませんでした。
海軍の動き
一方で、海軍はイギリス医学に精通した軍医:高木兼寛(たかきかねひろ)が対策にあたります。彼は東京慈恵会医科大学の創設者としても知られます。「根拠に基づく医療」を重視するイギリス学派は、脚気を発症した患者の特徴や生活様式を細かく観察し、「食事が脚気の原因である」という立場をとりました。そこで、まだビタミンB1は発見されていなかったものの、明治17年(1884年)に洋食や麦飯を戦闘糧食に導入することで脚気を劇的に減らすことに成功しました。また、当時は馴染みの薄かったカレーを脚気の予防として取り入れたのもこの頃と言われています(今でも海軍カレーという名前は残っていますね)。
大戦を迎えても陸軍の動きは遅かった・・・
陸軍は海軍の成功を見ていましたが、まだビタミンという概念はなく、兵士の白米に対する希望も強かったため白米食に固執しました。海軍としのぎを削っていたので、易々と海軍の真似はできないというプライドもあったようです。そうして明治27年(1894年)からの日清戦争、明治37年(1904年)からの日露戦争でも陸軍は多くの脚気患者・死亡者を出しました。陸軍が麦飯兵食を採用したのは海軍から遅れること約30年、大正2年(1913年)のことでした。
3. ビタミンB1の発見
明治43年(1910年)に農学者:鈴木梅太郎が「米ぬか」から分離した成分中に、動物に必須な未知の栄養素が含まれることを発見しました。この栄養素は当初「オリザニン」と命名されました。現在のビタミンB1です。
オリザニンが発見された後も、値段が高かったこと、脚気の発病後では特効薬と言えるほどの効き目はなかったことなどから、脚気は難病として恐れられ続けました。昭和13年(1938年)まで年間1万人以上の死者を出していたようです。
戦後、ニンニクの有効成分「アリシン」とビタミンB1が作用してできる物質を、「アリナミン®」として武田薬品工業が昭和29年(1954年)に発売しました。アリナミン®はオリザニンと比べて吸収されやすく、効き目が長続きするため劇的な効果を発揮し、昭和40年(1965年)には脚気死亡者は100人にも満たなくなりました。日本人の「ニンニク注射」好きはこういった歴史も関係しているのかもしれません。
4. 脚気は過去の病気なのか?
では脚気はもう過去の病気で、現代では全くみられないか、というとそうでもありません。糖分だけでなく、アルコールを分解するときにもビタミンB1が消費されるので、アルコール依存症の人などで脚気を発症することがあります。また、極度の偏食でもビタミンB1が不足して脚気を発症することがあります。
参考までに、ビタミンB1を多く含む食品を挙げます。
【ビタミンB1を多く含む食材】
- 豚肉
- レバー
- 穀類の胚芽(米ぬか など)
- 豆類
- たらこ
- うなぎ など
その他、多くの野菜にもビタミンB1は含まれますが、ビタミンB1は水に溶けやすいので、煮る場合には煮汁も一緒に飲むなどの工夫が必要です。なお、水に溶けやすい性質のおかげで、ビタミンB1を過剰に摂取しても尿中に出ていくので、摂り過ぎる心配はあまりありません。一方で、ビタミンA, D, E, Kなどの水に溶けにくいビタミンは、過剰に摂取すると有害になるためサプリメントを多く飲む人などは注意が必要です。
現代ではインスタント食品などでも意図的にビタミンB1を添加した食品が多く、通常の食生活をしていれば基本的に脚気を発症する心配はなくなりました。明らかなビタミンB1欠乏症でなければ、「ニンニク注射」も特にお勧めできません。ただし、お医者さんはかなりまれですが脚気の患者さんを診察する機会もあり、ビタミンB1を含まない点滴でビタミンB1欠乏症を発症・悪化させてしまうことがあるので、ビタミンB1のことを頭の片隅にいれて診療しています。
ここまで脚気にまつわるエピソードを紹介し、ビタミンB1について説明しました。医学の発展の歴史には栄養学も密接に関わっているわけです。私たちの日常生活に欠かせない食事には、愉しみという側面と栄養摂取という側面があります。このコラムが、栄養の役割にも興味を持つきっかけとなれば幸いです。
※本ページの記事は、医療・医学に関する理解・知識を深めるためのものであり、特定の治療法・医学的見解を支持・推奨するものではありません。
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