Sunday, February 26, 2023

家康のお値段、5000万円?年商はいくらだったのか - WEDGE Infinity

橋場日月の戦国武将のマネー術

2023年2月26日

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橋場日月 (はしば あきら)

作家

1962年大阪府生まれ。史料群から独自の視点で新しい可能性を発掘し、日本史を見直すことに努める歴史作家。月刊誌「Wedge」で「戦国武将のマネー術」の連載をしてきた。著書は『戦国武将に学ぶ「必勝マネー術」』 (講談社)等多数。

[執筆記事]

 2023年もすでにひと月以上が経過。皆さん楽しみにしていらっしゃったであろう大河ドラマ「どうする家康」も第6回まで進み、賛否両論甲論乙駁といった様相を呈しております。

岡崎城内の「家康産湯の井戸」(筆者撮影、以下同)

 まぁ、難しい話はそちらに任せておいて、本稿では徳川家康の生涯の中でマネーとの関わり深いハイライトを随時ピックアップしながら、ドラマ鑑賞の御供になるような線で行きたい、と思う次第であります。あ、家康関連でも雑誌「Wedge」連載の時のトピックは避ける予定。

家康誕生!松平家の経済力は?

 家康の誕生は、天文11年(1542年)12月26日午前4時頃、寅(壬寅=じんいん、みずのえ・とら)の年寅の刻の生まれ、とはドラマでも紹介されていた通り。三河国岡崎城主・松平広忠(当時数え18歳)にとって、嬉しい嫡男だった。

 ただ、武門の子として生まれた家康が寅(虎)の申し子とはいかにも予定調和が過ぎる。実際、この誕生日には異説もあって、家康公ご本人が「癸卯(きぼう、みずのと・う)の年(=天文12年、1543年)の生まれ」と神様への願文に記している様に1年下るのではないかというのが有力だろう。

 ドラマでもこの線で「ホントは天文12年生まれ」と描写していた。織田信長が家康の事を「俺の白兎」と呼んでいたのも、家康が本当は卯(ウサギ)年生まれであることを暗にイジっていた訳だ。

 その頃の父・広忠の身代はどれぐらいだったのかというと、江戸時代に入ってからの岡崎藩5万石という基準はまったく適用できない。なにせ広忠期には後述のように近くの親戚も反抗したりして、広忠の領地は岡崎城周辺の狭い範囲に限定されていた。

 『三河物語』では大永4年(1524年)に家康の祖父で安祥城主だった清康が岡崎城を手に入れた頃の松平氏の領地は「およそ西三河の内、三が一(3分の1)」だったとあるから、これが5万石程度。そこから広忠の時に安祥城を織田氏に奪われ、一族の内紛もあったから、せいぜい2万石あるかどうかという感じだろうか。9億円、実収入は4億円に届かない。

 そんな中小企業の跡取り息子である家康が天文16年(1547)8月2日、尾張の織田信秀(信長の父)のもとへ送られたのは、数え6歳の時のこと。いや待て、卯年生まれなら数え5歳になるか。

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